東京都現代美術館でのクリスチャン・マークレー展を見てから一週間以上経つのに、いまだ私の頭の中にはクリスチャン・マークレーの「叫び」やオノマトペが重低音で鳴り響いています。展覧会の余韻が続くことは今までも何度もありますが、展覧会のテーマが「音」であったぶん、余計に響くというか。
色々調べていたら、ギャラリー小柳で、クリスチャン・マークレーの展示をやっているとのことなので見てきました。
これまた良かった…。やはりギャラリー小柳は空間がいいですね。
やはりコラージュが上手い。
口を塞いでいる作品が見られたのも良かったです。
改めて、クリスチャン・マークレーがなんでこんなに自分に響くんだろうと考えてみたのですが、やはり、自分の中に言いたいこと、叫びたいことがあるんですよね。それは、実際に口にすることもあるけど、ほとんどは心の中や頭の中でもやもやと循環させていて外に出ない。
相手のことを慮って、言えないこともある。
言葉にしてしまうと別のものになるから言わないこともある。
あと、思考自体も実は「言語ありき」で行われますから、言語に言語を重ねて人間は思考している。でも思考の過程における言語は、いちいち言葉にすることは少ないわけで、要は「私の頭に中には音にならない言葉ぐるぐる渦巻いている」んですよね。
コロナ禍で、マスクをはずしての会話も難しかったりする。
あとねえ。やっぱり叫びたいことがあるんですよ。
癇癪起こしてる娘を怒鳴りつけたいときもある。
好きな人、大事な人に会えなくなって「なんでーーー!」と叫びたいこともある。
仕事でいやなことがあって、「くそっ」と言いたいこともある。
そういう、目に見えない、衝動とか、言葉とか、音とか、そういうものを顕在化させて、どーんと見せてくれる。
その爽快感みたいなものが、自分のツボだったんだと思います。
そういえば、現美の担当学芸員の藪前さんの話によると、マークレーが日本語のオノマトペで一番驚いたのが「感情に関するオノマトペ」だったそうです。
でも考えてみれば、確かにあれは日本語独自のものかも。
でも、感情をオノマトペにする、そのこと自体クリスチャンマークレーっぽいかもしれない…
なんてことを考えながら帰途についたのでした。
そういえば、現美の展示でファストミュージックという作品がありまして、
マークレーがレコードを食べてるんですねw
あれを見てて、私も音楽を食べてみたいなと思っていた矢先、ジャンポール・エヴァンのバレンタインコレクションに、音楽をテーマにしたショコラがあったなと思い出し、伊勢丹のエヴァンでショコラを購入。
レコードをイメージしたまるいショコラ。
左がジャズ、右がロック。両方美味しかったけど、ジャズが意外な美味しさ!塩の入ったミルクショコラで、最初ミルクたっぷりの甘さで、じわわーんと塩の味が続く。
ショコラ食べながら、マークレー展の解説を読む。至福のひとときでした。