美術部部室の中の人のブログ

アート好きな50代の女のブログです 

「住まい」の構想 収蔵資料が物語る名作住宅(1940-1975)@建築資料館

「住まい」の構想 収蔵資料が物語る名作住宅(1940-1975)@建築資料館に行ってきました。

nama.bunka.go.jp

f:id:meg0122:20220306105949j:plain

建築資料館、存在自体は知っていたのですが、実は初訪問。湯島地方合同庁舎内(岩崎庭園の隣)にあって、へええこんなところにあったんだ、と。

今回の展示は、昭和の名作住宅。

図面が多く、地味めの展示でしたがとっても良かった…。

3期に分けた展示で、今回は菊竹清訓特集。

中央に菊竹先生のインタビュー映像が流れていて、これがすごく良かったのです。

f:id:meg0122:20220306110800j:plain

f:id:meg0122:20220306110815j:plain

特に、菊竹先生の代表作である、スカイハウス(自邸)。

↓竣工当時の写真はこちら。

www.shiraishi-ken.co.jp

 

映像には

スカイハウスのプランを描く菊竹先生、スカイハウスでのご家族の暮らしや、当時の様子などがおさめられていました。私は竣工当時の写真しか見たことがなかったので、こういう映像が残っていることに驚きました。

菊竹先生の奥様と赤ちゃん、子どもたちがピロティで遊ぶ様子、その後ピロティ部分に増築された子供部屋など。いわゆる名作住宅で、実際に使われている様子を納めた映像って実はあまりないと思うんですよね。菊竹先生、こういうのを意識的に残していたんだなあと。

スカイハウスは、メタボリズムの建築家菊竹清訓の思想を実践する作品でもあったので、何年かおきに「更新」されていきました。更新され、そして現存する。

丹下健三の自邸も展示されていたのですが、こちらは「現存せず」。

また、前川國男の自邸は、移築され江戸東京たてもの園にありますけど、住宅としては現役ではなく…という状況を知ると、スカイハウスが、現存し、かつ、現役であること自体、けっこう凄いすごいことだと思うのです。

しかもスカイハウスは実験住宅ですからね。

 

↓現在のスカイハウスの内部の様子。いまでも美しいです。行ってみたいなあ…。

 

f:id:meg0122:20220306205926j:image

…にしても、竣工当時、いわゆるピロティ部分から階段をのぼらないと住居フロアまでたどり着かない構造。ピロティ構造だと、住居フロアはかなり寒かったと思われ…

ここで暮らしていたご家族、特に奥様はどう思っていたのかが気になります。

 

スカイハウスを見学された方のブログ記事を見つけたので読んでみました。

ameblo.jp

「建築は、いつも社会的なものです。たとえ個人の家であっても人を招きいれる座敷がなければその建築は十分でない。日本の家は座敷を失ったときに駄目になった。家には30セットの食器を用意してあるべきなのです。」とおっしゃっていて、実際に長い間そのような生活をされていたことを伺い知る自邸、「スカイハウス」でした。おもてなし、をするのは奥様や女性達だったのでしょうし、そのような文化をささえた女性たちに深い敬意を表しつます。

…食器30セットかあ。

スカイハウスは、菊竹先生にとって「メタボリズムを実践する場」でもあったのですが、それを支えていた家族の事を考えると、これはなかなかに大変だっただろうなと想像します。

…いや、大変というより、「狂気」。

ふと狂気という言葉が思い浮かびました。

だって菊竹先生の作品ってどこか狂気を感じますもん。

江戸東京博物館然り、東光園然り。菊竹事務所OBの伊東豊雄さんが「恐らくこのような狂気を秘めた建築家が今後あらわれることはないだろう」と言っていたのも、わかる気がする。

 

 

湯島といえば、菊竹先生のソフィテル東京があったのも湯島でした。

(今は解体されて存在せず)

blog.goo.ne.jp

あの不思議なツリー型ののっぽの建物。不忍池でのほとりで独特の雰囲気を放ってました。

※私の○○士試験の最終試験の会場も、ソフィテル東京でした。懐かしい…!

今思うとあのホテルの内部(客室含む)に入れたのはとても貴重な体験だったと思います(小さめだったけど、高級感があってとても素敵なホテルでした)

 

菊竹先生の作品は今までそんなに好きではなかったけれど、今回の建築資料館の展示でぐぐぐと興味を惹かれました。でも、菊竹建築(特に大きな作品)って地方にあるものが多いんですよね…。とりあえずこの本で菊竹建築の鑑賞したいと思います。