3月30日から4月3日まで、春休みを利用して娘(10歳)を連れて直島&豊島に行ってきました。
直島、10数年ぶりの訪問でしたが良かった…。前回訪れたときよりも島とアートが渾然一体となった力に圧倒されたというか。やはりここにはでしかなしえないアートがあるなあと実感しました。
例えば、地中美術館も、あの場所の地形があり、その地形を巧みに利用した半地下空間からなる建築ありきで作品群が成立しています。
普段、東京に住んでいて、東京の美術館を訪問していると、年に何回も企画展があり、美術館という箱物に作品が入れ替わり立ち替わりやってきてそれを見る。コレクション展などもありますが、それですら展示替えがある。
しかし、たとえば、地中美術館はずっと同じ展示ですからね。不動のコレクション展?で建物と景色ごと見せている。ずっと同じ展示なのに、交通の便もよくないのに、この美術館を訪れる人はあとを絶たない。直島の他の展示も、豊島美術館も然り。
※特に豊島は、船が一日3便ぐらいしかないし、美術館のある場所に行くにはこれまた便数の限られるバス、また自転車を利用するしかありません。
それでも、あの場所、あの風景ごと、また味わいたい。そんな気持ちにさせる魅力的な場所です。
今回の旅で印象的だったのは外国人観光客の多さ。
まだ外国人の入国も制限される中、多くの外国人観光客がやってきていていることに驚きました。しかも、家族連れ多し!交通の便は決してよくないのに…。これは、直島が「ここでしか味わえない強力なコンテンツ(=アート)」を備えている証拠だと思います。
これだけ力強いアートを体験してしまうと、東京で味わうアートが(言い方に誤解があるかもしれませんが)紙芝居のように思えてしまうのです。美術館という箱物に作品が入れ替わり立ち替わりやってきてそれを見る=紙芝居。
直島から戻って一週間ほど経ちますが、今もまだそんな気持ちがまだ続いていて、東京の美術館に足を運ぶ気にならないのです。
(またその近いうちに足を運ぶとは思いますが)
「この場所でしか体験できないことを提供したい」
それは、「豊島美術館ハンドブック」に記載された、直島福武美術館財団の福武總一郎氏のコンセプトであり、前回の直島訪問からずっと何度も「また直島に行きたい」と思わせてきた…その根源をなすものだと思います。
前回の直島訪問のときもすごく良かったのですが、それから10数年経ち、「都市と地方」や「アートのあり方」などを考える機会を重ねたのち訪れた直島は、心の奥までズンと来る、濃さと力強さと説得力がありました。
ああ、良かったなあ。
また行きたいなあ。
旅から帰った今も直島への尽きせぬ思いが溢れてきて、それが薄れないうちに記録しておこうと思うので、次回のエントリ以降で旅の記録を書いていきます(しばらく直島&豊島のことばかりになってしまいますが、お付き合いください)。